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ビートルズを離れて、ジョンはヨーコとともに活動を始めた。実験的で私的なアルバム、『トゥ・バージンズ』、『「未完成」作品第2番』、『ウェディング・アルバム』やプラスティック・オノ・バンドのライヴ盤『平和の祈りをこめて』を発表。その後ロサンジェルスに向かい、ヤノフ博士のプライマル・スクリーミングによる治療を受ける。これは精神的ダメージの根源を過去へ探り「叫ぶこと」でその傷をいやすというもの。その影響が強く表れたのがアルバム『ジョンの魂』である。
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1971年
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そして次作『イマジン』のタイトル曲は今では国際的賛歌となった。「最初のアルバムはリアルすぎてだれも買ってくれなかった。メッセージは同じなんだけど『イマジン』は砂糖をかけて口あたりをよくしたんだ」とジョン自身は語っている。
1971年8月、ジョンとヨーコはニューヨークに移り住み、永住することを決意した。しかし当時のアメリカ政府はジョンに国外退去を命令。イギリスの大麻不法所持による逮捕が理由だったが、実際はベトナム戦争に反対して平和運動を広めるジョンを追放したかったのだ。アルバム『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』は非常に政治色の強い作品だ。
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1973年 |
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続くアルバム『ヌートピア宣言』では過激さはなくなり、領土も国家もパスポートもない「ヌートピア」を歌った。 FBIに尾行され、盗聴され、永住権をめぐる闘いが続いたうえに、アラン・クラインとの訴訟問題が重なり、ジョンは酒や薬に溺れるようになった。そんなジョンに対してヨーコは別居を提案する。
1973年10月からジョンはロサンジェルスに移った。ヨーコは秘書のメイ・パンを同行させた。ヨーコが24時間いっしょにいたふたりのそれぞれのアイデンティティを見つめなおそうとしたとも考えられるが、ジョンはますます荒れた生活をするようになった。ヨーコが必要であることを再確認しただけであった。 この間、ロックンロール・アルバムを制作したが、プロデューサーのフィル・スペクターがテープを持ったまま行方をくらましてしまい、『心の壁、愛の橋』に着手。別居の辛さやヨーコへのラヴ・ソングを収めたこのアルバムは高く評価されたが、ジョン自身は「全体にみじめな雰囲気が漂っている」と語っている。そしてフィル・スペクターからテープを取り戻し、アルバム『ロックン・ロール』を完成させた。 エルトン・ジョンが参加したシングル「真夜中を突っ走れ」がナンバーワン・ヒットとなり、ジョンはお礼にエルトンのコンサートにゲスト出演した。その終演後に楽屋でヨーコと再会。
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1975年 |
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これを機に1年以上続いたジョンの「失われた週末」は終わり、1975年からふたたびニューヨークのダコタ・ハウスで暮らし始めた。永住権をめぐる闘いは続いていたが、新聞や雑誌は政府の陰謀を暴露、ウォーターゲート事件でニクソンは大統領を辞任、ヨーコの妊娠で国外退去命令が一時差し止められた。そしてついに最高裁は「大麻所持の有罪判決は十分な理由にならない」として退去命令を破棄する判決を下す。翌年、永住権を獲得。 1975年のジョンの誕生日に、ヨーコとのあいだにショーンが誕生する。ジョンは「エンパイア・ステイト・ビルよりハイな気分だ」と語る。「この子は僕のおなかから出てきたんじゃないけど、骨は僕がつくってやろう」と思ってジョンは育児に専念することを決意。ヨーコがビジネスを担当し、ジョンはハウスハズバンドとなる。ベスト盤『ジョン・レノンの軌跡』を発表したあと、音楽活動から退いた。
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1985年 |
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ふたたび音楽に喜びを見つけたのは1980年のことであった。「人生は40歳から」と語り、ヨーコとの共作『ダブル・ファンタジー』で再出発を宣言した。 幸福に包まれたジョンに銃口が向けられたのは12月8日(NY時間)のことだ。銃弾はジョンの胸に命中。帰らぬ人となった。引き金を引いた男チャップマンが狂人であったとも、ジョンの影響力を恐れたFBIとCIAの陰謀とも言われている。この事件がなければ、日本からワールド・ツアーがスタートする予定であった。 1981年1月18日、「感謝をこめて」と題するヨーコの公開書簡が世界の主要紙に掲載される。1984年には、『ダブル・ファンタジー』のレコーディング・セッションの初期の段階で録音された作品が集められたジョンとヨーコの新作アルバム『ミルク&ハニー』が発売される。
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1990年 |
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1990年、ジョンの生誕50年に当たるこの年、ヨーコはジョンの意志を次いで、地球環境保護から青少年の育成までを主旨とし"Greeting
Of The World"を提唱している。また、この年の12月21、22日、東京ド-ムにおいて、[Greeting Of
The World - Concert in
japan]を開催。ヨーコとショーン、マイルス・デイヴィス、ナタリー・コール、デイヴ・エドモンズ、レニー・クラヴィッツ、佐野元春、高橋幸弘、細野晴臣、内田裕也、宇崎竜堂、忌野清志郎などが出演し、ジョンの曲を歌った。1998年11月、ジョン・レノン秘蔵の未発表音源94トラックを収録した4枚組のボックス・セット『ジョン・レノン・アンソロジー』がリリース。
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2000年 |
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そして、2000年2月、ジョンのオリジナル・アルバムとしては初めてリミックス&デジタルリマスタリングを施した『イマジン〜ミレニアム・
エディション』が発売。6月には、映画『イマジン』には収録されなかったフィルム、ジョンのプライヴェート・フィルムで構成された『ギミ・サム・トゥルース』がジョンの映像作品としては初めてDVDとして発売される。そしてジョン・レノン60歳のバースデーには、『ジョンの魂〜ミレニアム・エディション〜』と、『ダブル・ファンタジー〜ミレニアム・エディション〜』が発売となり、さいたま新都心の“さいたまスーパーアリーナ”内に世界初の「ジョン・レノン・ミュージアム」がオープンした。オノ・ヨーコの出席のもとオープニング・セレモニーが行なわれ、世界中から注目されている。
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2001年 |
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9月、『ミルク・アンド・ハニー』のニュー・センチュリー・エディションがリリース。 10月9日にはオノ・ヨーコ夫人が提唱した「Dream
Power のメッセージ(ひとりひとりが夢を持つこと、どんなささやかなことでもその夢が集まれば、それが世界を変えてゆく力になる)」に共感した日本のアーティストたちが、ジョンの名曲を歌い継ぐコンサート『Dream
Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ』の第1回目がさいたまスーパーアリーナで行われる。
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2004年 |
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第4回目を迎える『Dream
Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ』が始めて日本武道館で行われる。10月には日本主導で制作したジョンのギターの弾き語り音源を集めた『ラヴ〜アコースティック・ジョン・レノン』発売。
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2006年 |
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第 |